誕生日はいつから自分のためになるのか
今日はわたしの誕生日だ。
まあだからどうということはないが、30歳を過ぎた頃から、誕生日を誰かと一緒に祝って欲しいという感覚がなくなった。
わたしはわたし自身に、1年お疲れ様と、まあがんばったりがんばらなかったりしたよねと、労いたい。
自分のことを一番知っていて、一番近くにいて見ていたのはもちろんわたしだ。
だからわたしが祝福するのだ。
誰も誕生日を祝ってくれないという台詞を聞くことが多いが、誰だって他人の誕生日なんて、さほど意義を見いだせないものだ。
まあそれはそうと、今日は美味しいものを食べようと思う。
家族のために作るのだが、今日は自分の好きなものを作る。それはつまり、楽なもの。なるべく手数のかからない料理だ。
味を表現するときに、例えば中トロを食べて、いやーこれはフォアグラみたいにうまい! と言う人がいる。
じゃあフォアグラ食べろよと思う。
フグを食べて、美味しいなあ。上質な鯛みたいと言う人もいる。
じゃあ鯛食べろよと。
なぜ他の食べ物に例えるんだと。
だからわたしは、今日チーズを食べる。極上の、フルーツみたいなチーズを食べるのだ。